元出版ブラック勤務の社畜が副業ブログから始めて、

お金と時間の自由を獲得した話

 

こんにちは、ハニーです。

 

(こう見えてAKB48の本田仁美ちゃん、ひぃーちゃん推しです!!汗)

 

 

 

 

 

今でこそ毎月定期的な報酬に恵まれ、
毎朝好きなだけ寝たり、好きな人とだけ関わって過ごせていますが、

少し前までは副業が軌道に乗らず、稼げなくて大変でした。

ここではわたしの過去を少し振り返ってみたいと思います。

 

 

元出版社勤務で紙の書籍の編集の仕事に就いていました。

あなたは「出版」と聞いてどんなイメージを持ちますか?

「芸能人・有名人と知り合えて華やか」

「普段から最先端の知識を仕入れ勉強熱心」

「ファッション誌の人とかモデルと結婚できるんでしょ?」

「有名人を接待するからグルメに詳しいんでしょ?」

「いつも流行の服とか買ってチャラりんでしょ?」

こんなイメージを持つ方もいるかも。

でれも「少し」は当たってます。

中には本当にモデルさんや女優さんと結婚する人もいます。

流行にも常に敏感じゃないと仕事もできない環境です。

しかしどれも「少し」だけです、当たってるのは。

実際にそんなふうに仕事したり、
華やかなプライベートを送っているのはほんの一握り。

 

一見華やかだけど現実は真逆な出版界

 

実際には毎日地道な作業の繰り返し。

「校了」と言って本作りの締め切り前は
徹夜、泊りも当たり前の仕事なんです。

指先には「校正」といって印刷された原稿に
間違いがないか確認する作業でできた「マメ」もできるし

白いシャツを着ていても赤ペンで汚してしまったり。

会社におしゃれして行く人なんてほんの一握り。

多くの人は夏ならTシャツとジーンズ姿。

まあラフって言えばラフですね。

元々私も出版のそんな雰囲気に憧れて就活し
ある出版社に新卒で入社しました。

時代は「バブル」に沸いていました。

(年齢がバレますが笑)

ジュリアナ東京なんかに行列ができる時代。

あ、ジュリアナな超人気の「ディスコ」でした。

仕事が終われば夜は「ディスコ」に出かける・・・
今じゃ考えられない世の中ですね。

キャリアの始めは書籍ではなく「雑誌」でした。

そうです。

週刊誌、月刊誌なんかがあるその雑誌です。
まずそれを経験してから「書籍」、紙の本にキャリアチェンジ。

雑誌の頃は芸能人とかよく取材しましたけど
書籍になってからは付き合うのは作家さん。

気難しい人、変わった人、まあ変人が多くて
身も心も病みかけましたね~

そんなストレスとともに仕事も多忙を極めます

徹夜が常習化してもはや当たり前。
その上いくら働いても残業代は出ない。

 

残業時間月200時間でも残業代ナシの「ブラック企業」

そう。

これは立派な「ブラック」ですよ。

そんな中、会社の「倒産」も経験したことあります。

何もできない人がいきなり「お払い箱」になるんです。

人が間違えそうな「漢字」を知っている
特殊能力しかない編集者に他にできる仕事なんてありません。

運よく次の出版社に勤めることができましたが
「非正規従業員」という立場になりました。

これ身分の保証が一切ないです。

給料も今までもらっていた金額の半分にカット。

それでいて仕事は多忙を極めたまま。

絶望しますよね、普通。

そんな時に「副業」を知りました。

 

「コンプレックスの塊でした」

出版の世界は高学歴社会。

周囲を見渡せば、東大、早稲田、慶応卒がゴロゴロいて
たいした学校を出ていない私は浮いていました。

ここで第一のコンプレックス。

さらに、非正規従業員として働いていたので
収入も低く、ブラック企業だったのでひどい仕打ちを受けつつ
収入は低く、

「もっと稼ぎたい、稼げない」

という第二のコンプレックスを抱えるはめに。

ブラック在籍時は、とにかくもっと稼いで回りを見返してやりたい
と日々悶々と過ごしていました。

 

バック・トゥ・ザ・ポスト(過去を振り返る)

小学生時代は暗黒のデブ時代

私は今はおじさんで、それなりお腹も出てきていい味出してます(笑)

しかし、若いころは痩せていて、後で書くバドミントンで鍛えた締まった体型をしていました。

それでも小学生時代はいわゆる肥満児。

「デブ」

だったんです。

そのデブを当時の容赦ない小学生はいじりまくり、一時は学校に通うのも嫌になるほど。

性格も暗かったですね。

でも、これじゃいけない!と一念発起。

まず性格を変えようと思って、クラスでウケを取る仲間を徹底研究。

それでまずは彼氏の持ちネタのコピーから始めました。

それとともに成績は良かったので、先生が「答えがわかる人は手を挙げて」と言ったら、とにかく一番で挙手するようにしました。

積極性を持ちたかったんですね。

そういうことを重ねていたらいつの間にか私のギャグでクラスは笑い転げ、成績も良く、積極性もあるという「明るいデブ」に変身していました。

このデブは中学に入ると思春期の体調の変化もあわさって、一気に痩せたんです。

そして、後にも書くように中学から始めたバドミントンにドはまりしたこともあって、中学卒業時には

「明るく成績の良い、スポーツマン」

に早変わりしていました。

この変化に一番驚いたのは私自身です。

だから痩せたい人の気持ちはよーくわかります。

大金払ってライザップに通う人の気持ちももちろんわかります。

小学生時代、デブのコンプレックスを持ったおかげでコンプレックスを持つ人の気持ちも手に取るようにわかるようになりました。

まあ私の場合はコンプレックス解消に努力したというより、時間の経過を待つことも大事だなという教訓を得ましたね。

 

中学校から大学まで続けたバドミントンで見えてきた世界

中学校の時、バドミントンを始めました。

元々は技術部なんていうチョー文系オタク部に入っていましたが、書いてきたように

デブでイケてない自分を変えたい!

と強く願ってのことです。

小学生の時放課後に仲間と草野球に興じました。

マンガ「ドカベン」(水島新司先生)、「キャプテン」(ちばあきお先生)の影響でした。

野球のポジションは「ドカベン」にモロの影響を受けて、そして自分の体形のこともあって、キャッチャーでした。

その野球部に本当は入りたかったのですが、野球部は運動神経のいいスポーツエリートの集まりでした。

そこで、これなら自分でもイケそうと当時まだマイナースポーツだったバドミントン部をい選んだのでした。

そんな生半可な気持ちで始まったバドミントンでしたが、やってみると意外に難しい。

初心者はまずハイクリアーという相手をコートの後ろに追い込むストロークを覚えるのですが、最初は空売りばかりでした。

でも、一緒に始めた仲間の上達に刺激を受けて、ドはまり。

放課後は部活仲間を誘って、近所の公営体育館に通って、シャトルを打ち続けました。

そんな甲斐もあって、中学時代は団体戦でしたが、地区2位になり、東京都大会に出場しました。

そのうち高校進学の時期を迎えます。

私は一応通った中学で成績優秀だったのです。

(はず~(笑))

通知表はオール5(でも、音楽だけ4(笑))。

両親も周囲も当然、隣地区の学区ナンバーワンの都立高に進学するだろうと思っていたようです。

しかし、私が選んだのは同じ地区のナンバーツーの都立高。

その高校はバドミントン部が強豪なのを知っていたからです。

入学試験は無事に済み、入学時はなんと全体の8位!

そして、強豪校でのバド部生活が始まりました。

とにかく「走れ!飛べ!打て!」でした。

週に2回の外練(体育館を使えない日の外でのトレーニング日)が嫌で嫌で仕方なかった。

そのたび5キロのランニングではいつも最下位でした。

強豪校でしたが、部員数は少なったんですね。

2年次から人数集めのレギュラーに昇格。

成績は試合に出られなかった1年次も含めて、3年連続で東京都ベスト8でした。

人数集めの私はエースとダブルスを組みましたが、3年の時の最後の東京都予選で、たまたまエースが不調だったんですが、彼をカバーするプレイができて、予選を突破できたのが一番うれしかったことです。

そして、卒業シーズンを迎え、大学受験です。

大学へは一浪を経て、なんとか第2志望に合格。

進学先を選ぶ際にも自分のバドミントンのレベルで通用しそうなバドミントン部がある大学というのは選択基準になりました。

晴れて大学でのバドミントン活動が始まります。

大したレベルではないバドミントン部だったので、なんと1年からレギュラーでした。

でも、インターハイベスト16という先輩がいて、「ここにもそんな人いるんだ」と甘くはないと思いました。

結局その先輩には卒業まで勝てませんでした(笑)

初めて出た関東支部の大学選手権の個人戦で、5回戦まで勝ち進んだのはいい思い出です。

ここまでバドミントンをやってきて思ったことがあります。

高校時代、東京都ベスト4を決める試合で、ボロ負けしたのですが、なんと「ラブゲーム」(1点も取れずに負けること)。

この相手は翌月のバドミントンマガジンを読むと、なんとインターハイで2位になっていました。

そうそう。

めちゃ強くて、私が渾身の力で打ったスマッシュをネット前で切り返されたりしました。

そんなキャリアですから当然有名大学からスカウトが来るだろうと思っていました。

ダブルスの片割れは有名大学(1部リーグ)に進んだものの、もう一方はなんと就職。

就職と言っても実業団ではなく、完全にバドミントンを引退してしまったのです。

これは衝撃でした。

大学進学は家庭の事情も大いに関係があります。

インターハイ2位でもバドミントンを続けられずやめなければならないこともある。

これで思ったのは、

「とにかく続けた者が勝つ」

ということ。

この教訓は後々取り組むネットビジネスにも通じるものがありました。

初めて彼女ができた!!…けど

小学生時代は、勉強はできて明るいけど、デブ。

中学生時代は、勉強ができて明るくてスポーツマン…になったけど、女子には弱いというか内気な性格も災いして、非モテ。

高校時代になるとそれはさらに悪化して、入学時の成績こそトップ10だったけど、卒業する時は、ビリから数えてトップ10になっていました。

高校時代も小学生時代から引き続き、学級委員なんてものはやっていましたが、高校の修学旅行でバスガイドさんから

「ビートたけしにちょっと似てる」

とか言われ、容姿については全く自信が持てませんでした。

それでも、部活に明け暮れた高校時代はコンビニバイトなんかもやっていて、レジに来たお客さん(おばさん)からは、

「若いころの橋幸夫に似てる」

とはやし立てられ、

「このままじゃダメだ、俺…」

と密かに女性とは無縁になりそうな未来に漠然とした不安を持っていました。

そんな私がちょっとした自信を持ちかけたのは浪人中の予備校生時代でした。

高校卒業とともに自棄になって、坊主頭にした髪が伸びて、パーマなんてかけて少しおしゃれに目が行くようになったころ、仲間内から

「〇〇(私の名前)ってもしかして年下にモテるかもな」

なんて言われ始めました。

その言葉を信じて、ちょっとした自信を回復して、大学受験になんとか合格して、都内私立大学に入学。

先に書いたように部活はバドミントン部に入部!

希望に燃えた春先のこと、なんと夢は簡単にかなったんです!

浪人して同級生より1個下のバドミントン部の同級女子がいたんですが、なんと(連呼します!)逆告白(のようなもの。実はその子から話を聞いた同級女子が橋渡ししてくれた)されて、初めての彼女!ができました。

これまで一貫して非モテだった私の人生にサクラの花がパッと大きく開いたんです!

初彼女は、なんと(またまた連呼します!)超お嬢様。

実業家をお父さんに持ち、都内の中高一貫のお嬢様学校卒業で、学校推薦でその大学に入学。

人生初のデートは渋谷ハチ公で待ち合わせ。

「おおーー、夢じゃなかろうか…」

と期待して朝起きたらなんと(またまた連呼します!)朝寝坊!

ハチ公に着いたのは、結局、待ち合わせの約束時間を2時間超えていました。

それでも息せき切らして走っていったら、なんと(またまた連呼!)彼女は待っていてくれたんです!

波乱に満ちた交際スタートでしたが、たくさんデートしました。

思い出に残っているのは、彼女のお父さんが神宮球場に年間シートをおさえていて、それで一緒にバックネット裏で観戦したプロ野球のヤクルト戦ですね。

実はそのデートの約束をしようと、数日前、彼女に電話。

そうそう。

その頃はケータイなんてなくて、「家電(話)」の時代。

ワンコールで彼女が出たまではよかったんですが、途中で親子電話(という別回線で同じ人が出れるシステムがあった)で、彼女のお父さんと思われる人から、途中で電話が切られて、

「…こわ…」

なんて背中に冷や汗を流したことが今でも思い出されます。

その彼女とは1年でお別れすることになったんですが、別れた理由は、「なんか倦怠期」に入ったからでした。

私から別れを告げました。

彼女はショックを受けたようで、

「これからも遊んでね」

と沈んだ声で一言残しました。

これはその後聞いた話なんですが、一見イケイケっぽい感じに見えた(ようだった)私が、月日を重ねても一向に関係を進めないことに苛立っていたようでした。

そう!

初彼女とはハグをしただけ。

なんてチキンなヤツだったんでしょう。

今の若い人から見たら考えられないですよね。

その頃は初彼女に対して、いつも腫物にでも触れるような感じで接していましたから、まあ無理ないことでしょう。

 

私のおすすめ本・映画

 

出版関係ってことで、ここで少しそれらしきことを書いておきます。

私のベスト本・映画を幾つか挙げておきます。

ただし、チョープライベート版なんで、自分とは趣味が合わない、なんてこのページを離れないでくださいね。

というか私のことを嫌いにならないでください。

●ベスト本

「虚無への供物」(中井英夫)

これは出版に入ってから読んだ本。

出版社の先輩に勧められて、読みました。

なんて大きな物語なんだろう。

というのが感想。

著者・中井英夫は、著名詩人で劇団主宰者・寺山修司を見出した、元短歌雑誌編集長。

まだ誰も知らなかった寺山を自身の雑誌に、短歌を投稿してきて、才能を見つけ出した人です。

まあこれだけ書けばどれほどのものかお分かりですよね?

「高丘親王航行記」(澁澤龍彦)

澁澤と聞けば、趣味が分かれるでしょう。

はい。私も澁澤の耽美の世界にハマった人で、信者です。

この作品は賞とかには無縁の澁澤が芥川賞なんか獲った作品です。

澁澤の他の作品とは一線を画しているので、これからお読みになる方は期待しておいてくださいね。

「センチメンタルな旅・冬の旅」(荒木経惟)

これは写真集です。

「アラーキー」は晩年になって、スキャンダルが出て、評価を落としましたね。

実はアラーキーとは編集者と写真家という立場で出会ったことがあって、

「荒木さんの写真集を50冊持っています!」

とあいさつしたら、

「私は100冊出しているんだ!」

と怒られた経験があります。

この写真集は発売当時、大いに物議を醸しました。

同じく有名写真家で盟友の篠山紀信さんから作風を批判されたいわくつきの作品。

荒木さんがいかに奥さんを愛していたか、

ひいては人間って人を愛するために、そして、その思いを告げるために生きているんだろ。

ってことを伝えてくれます。

私が初めて写真集で泣いた経験をこの本でしました。

「教祖誕生」(ビートたけし)

たけしの本は後で書く映画と同じくどれも傑作。

私は初期に出版したこの本を挙げます。

オウム騒動とイメージが重なる内容で、北野武の才能をいかんなく発揮しています。

たけしは年齢を重ねるたびに、新しいスキルを積極的に得ています。

年をとってからピアノを始めたり、数学に凝ったり、タップダンスを習ったり。

これらをすべてテレビや映画の内容に落とし込むのがすごい。

巨匠になっても常に新しい知識・スキルを貪欲の身に着けようとする姿は、いつも刺激的です。

最近のたけしは、「今のテレビはつまらなくなった」と嘆き、すっかり世捨て人のようです。

でも密かにまだ何かやってくれるんじゃないか、と期待しています。

「草の花」(福永武彦)

唯一日本文学の正統派を挙げておきます。

今までのセレクトだけだと変態に思われるので・・・

●ベスト映画

「ツィゴイネルワイゼン」(鈴木清順監督)

「東京流れ者」の清順だが、彼は「清順は元松竹社員監督で、会社から「わけのわからん映画ばかりつくる」と怒りを買い、解雇された監督。

この作品は彼の復帰作で、一番興行的に成功した奇跡の一本。

プロデューサー荒戸源次郎が、九州大学建築学科卒のキャリアを活かし、劇場までプロデュースしました。

藤田敏八が奇跡的な怪演を見せます。

隠れエピソードでは原作は内田百聞の「サラサーテの盤」だが、原作の意図をくみ最高の脚本を常に手掛ける田中陽造の期待を今作でも大いに裏切り、メッタメタにした演出に清順節がうかがえる。

「キャタピラー」(若松孝二監督)

若松はいくら挙げてもキリがないほどいい作品を残しています。

特に日本赤軍をテーマにした作品、ピンク映画の常識を覆す試みを繰り返した作品群は出色です。

でも、あえて晩年近くに撮影した本作を挙げます。

原作は江戸川乱歩の「芋虫」。

そうです。

猛烈な反戦映画。

戦争から帰ってきた旦那さんは手足が不自由な人になっていた。

というシーンから始まります。

監督の大ファンを自認する寺島しのぶの演技泣かせます。

若松の人生のテーマは一貫して、反権力・反戦でした。

「天使のはらわた・赤い淫画」(池田敏春監督)

「天使のはらわた」は脚本を手掛けた石井隆の漫画が原作です。

いわゆるピンク映画として撮影された作品です。

「日活ロマンポルノ」というやつです。

ロマンポルノは社員監督に日活が仕事を与えるため作ったレーベル。

「絡み」(エッチ)を3回(4回だったか)入れればあとは好きなように料理していい。

という今じゃ考えられない緩いルールに、若い生意気監督たちが反抗心丸出しで挑んだ作品群。

「天使のはらわた」といえば、主演は「名美」ですが、衝撃的ラストシーンが忘れられません。

「TOKYOヌード」(瀬々敬久)

いまやすっかり巨匠の仲間入りした瀬々が、若いころ好き勝手に撮影して世に出した傑作。

主演佐々木ユメカは瀬々作品の常連ですが、少し「土屋アンナ」似のエキゾチックなルックスで、アナーキーな世界観を体現しています。

「トカレフ」(阪本順治監督)

阪本もいまやすっかり巨匠の仲間入り。

阪本といえば鮮烈なデビュー作「どついたるねん」が有名です。

赤井英和が奇跡の演技を見せ、まさに浪速のロッキーを再現しました。

本作は阪本のボクシング映画「鉄拳」で主演を演じた元プロボクサー大和武士主演です。

阪本もいい作品が多く、一見見落とされがちな作品ですが、佳作です。

「太陽を盗んだ男」(長谷川和彦監督)

これと「青春の殺人者」の1本しか撮らなかった日本映画史に残る名監督の一人・通称ゴジさん。

沢田研二演じるマッドサイエンティストの化学教師が原爆を密造し、日本の崩壊を目論むという作品。

「ふたり」(大林宣彦監督)

思春期の少女の微妙な心を描くと右に出る者がいない大林監督。

「さびしんぼう」「ハウス」ほか名作揃いの作品群から石田ひかりの演技が瑞々しい本作をチョイス。

「パノラマ島奇譚」(石井輝男監督)

言うまでもなく原作は江戸川乱歩の名作小説。

石井監督の「活動屋」魂溢れる演出はすべての観客の心をワシヅカミする。

男の首がピューっと豪快に吹き飛ぶ名シーンにあわせて、私も名画座で、思わず「たまやーー」と叫んだ日は今は遠い思い出。

「いつかギラギラする日」(深作欣二監督)

「仁義なき戦い」の名監督は主演に、萩原健一と木村一八を選び、周りを固める脇に多岐川裕美、荻野目慶子を配置した。

これだけの曲者を束ねられるのは深作しかいないだろう。

「サウダーヂ」(富田克也監督)

こちらはおよそ4時間の長尺。

でも、大傑作で長さを微塵も感じさせない。

在日ブラジリアンの世界の混沌を今の日本の混沌に合致させ、ラストでは溜まりに溜まったすべての膿を一気に吐き出すという名演出に感動。

「セーラー服と機関銃」(相米慎二監督)

角川映画には密かに傑作が多い。

相米の他にも澤井信一郎など実力派監督がその時旬なキャストを自在に操り、見事に隠れた魅力を引き出した。

相米は独特の長回しスタイルで多くの役者をいじめたという。

本作は厳しい相米に応え、薬師丸ひろ子が女子高生やくざ組長を演じきった。

この作品は「三毛猫ホームズ」赤川次郎に密かに秀作が多いということも知れた秀作。

 

「ワイルド・アット・ハート」(デヴィッド・リンチ監督)

「エレファントマン」「ブルー・ベルベット」さらにテレビシリーズ「ツイン・ピークス」ほか怪作が多いリンチ。

本作はカルトじゃありませんよ。

「死霊のはらわた」(サム・ライミ監督)

およそ一般映画とはかけ離れた地にいたライミが、その後、ハリウッド映画の名匠になるとは思いもしなかった。

「ブラッド・シンプル」(コーエン兄弟)

ライミに続いて、まさかこの人たちもハリウッド映画の正統派になるとは思わなかった。

「ダンス・ウィズ・ウルブズ」(ケビン・コスナー監督)

「ボディガード」には失望したが、まさかこの正統派イケメン俳優が巨匠になるとは思わなかった。

B級作品が並ぶ私のベストの中では、珍しい大傑作で、およそ4時間の長尺を一瞬たりとも退屈に感じさせない圧倒的な世界観。

ネイティブ・アメリカンの世界を、自然環境にもとことん心配りして描いた大作を、コスナーは初監督でモノにした。

「ミリオンダラー・ベイビー」(クリント・イーストウッド監督)

「許されざる者」「グラン・トリノ」ほか一時手掛ける作品すべてがアカデミー賞を独占する事態が続いたイーストウッド。

本作ではボクシングの老トレーナーが見出した女子プロボクサーの悲劇を描く。

ハリウッドのど真ん中に存在するのに、アメリカの真の良心を描き、同時に持ちえたイーストウッドは孤高の存在。

アメリカの良心はトランプやバイデンなんかでは決してない。

番外「北野武の全映画」

「その男、凶暴につき」で監督デビューしたのが遠い過去ですね。

デビュー作では強烈なバイオレンス表現で、一部の映画ファンを沸かせ、その波が徐々に伝染していき、一躍「世界のキタノ」になりました。

「HANA-BI」でカンヌグランプリを獲りましたが、その作風はアツい北野ファンからは無視されました。

私はこれも劇場で観て、泣いたんですけど、何か文句ある人、いますか?

 

 

 

「ひいちゃんの黒歴史に学ぶ私のしくじり・本田仁美ちゃんでさえしくじるんだよ」

AKB48・61stシングル「どうしても君が好きだ」
で2度目のセンターを務めた、大エースのひいちゃん。

性格はかなりキツメで

通称「本田警察」

と言われるほど、他メンバーのパフォーマンスに
ダメ出しする強気キャラで知られています。

そのひいちゃんがAKB加入直後のまだ12歳の時、
あの大先輩・大島優子様の卒コン当日、ホテルで大寝坊!!

なんと、2時間半の大遅刻をしたという黒歴史を持っています。

今やAKBの大エース(先日、卒業発表した涙)でも大失敗はするんです!!

私も過去、大小様々な、数々の「やらかした」経験があります。

選んだ世界、職業を出版編集者に決めて実現したまではよかった。

しかし、「しくじり先生」は選んだ会社にあったんです涙

「しくじり先生・私はコレで、絶望して会社を辞めました」

私はいくつかの出版社を転職で経験しました。

その中で生涯忘れれないブラック会社があったんです。

話題のビ〇グ〇ーターか、
はたまたブラックでは超一流のワ〇ミみたいな会社が本当にあったんです。

 

  • ブラック勤務エピソード①

「移動にかかる交通費はおろか会社への通勤費も支給されず唖然」

 

入社して、まず驚いたのは通勤手当が支給されなかったこと。

毎日著者や外部取引先にアポとって出かけているのに
会社側から一向に交通費を精算してくれと言われない!?

「え?まじ??」

入社早々、通勤手当がないことに驚いたのにくわえて
今度は大事な営業費も支給されない事実を知り、唖然!!

 

  • ブラック勤務エピソード②

「会社で、ゲロ!吐いている人がいて失望」

心優しい先輩Oさん。

オフィス外の休憩スペースで一緒にタバコを喫しながら一服していると

「俺、前の会社もブラックだったんだよね」

と一言。

ブラックはブラックを呼ぶ?

ブラック企業はブラックに向いている入社志望者を吸い寄せるのか?

ある日、

体調がすぐれないのか顔色が真っ青だったOさん。

オフィス内で、デスクに向かっていたはずだったOさんが
いきなりその場で、吐いた。

(汚くてすみません)

Oさんは速攻で救急車に乗せられて緊急入院…

Oさんも心配だったけど自分のことを真剣に考え始めた一件だった。

  • ブラック勤務エピソード③

「取引先が倒産!失った会社の売上を弁償させられた人がいて愕然」

会社でゲロ吐いた先ほどのOさんが退院してきた。

出社するや否や社長から呼び出し。

「何事?」

と様子を伺っていると
またまた真っ青な顔色のOさんが会議室から出てきた。

「弁償だって…」

Oさんが入院中に取引先が倒産。

担当営業だったOさんは倒産した取引先から受注した案件の
金額、ぜ~んぶをなんと弁償するように社長から言われたそう。

「??ただただ愕然」

 

  • ブラック勤務エピソード④

「過労がたたり、営業先で脳溢血で倒れた人がいて、身に危険を感じた」

H営業部長は毎日午前様をするほど仕事熱心。

でも仕事熱心は過重労働とは本来異なる。

その日は熱中症の危険さえあるほど暑い日だった。

前日午前様だったH部長は遠方の取引先の受付前でいきなり倒れた、そのこと。

「う~~ん・・・」

頭を抱えて倒れた部長はその場で救急車を呼ばれ、即入院。

なんと脳梗塞との診断・・・

「明日は我が身か…」

このエピソードの時ほど身の危険を感じたことはない。

  • ブラック勤務エピソード⑤

「脳梗塞で長期入院から復帰した社員に酒を無理強いする社長に絶望」

先ほどの「ゲロ・弁償」Oさん同様、長期入院から復帰したH部長。

社長は、陽気(?単なるアフォ?)に仕事終わりに
H部長に酒を付き合え!と言うではないか!!

「・・・いや・・・酒は・・・」

「まあまあ、快気祝いに一杯飲みなさい」

笑顔で酒を勧める社長を見てつくづく思った。

「もう付き合ってらんねぇ。や~~めよー--」

そう確信した頃にちょうどいい具合(?)にコロナが大流行。

契約社員の非正規従業員だった私は総務に呼ばれ、

「来期は契約継続できない」

と、なんの申し訳なさも感じられない飄々した表情で告げられた。

そう。戦力外通告。クビですよ。

でも、なぜか私の心は晴れやか!!・・・でした。

ブラックと縁を切ることができるなんてかえってラッキー!!

こっちから絶縁状をつきつけてやりたかったわい!!

 

「ネットって稼げるらしい」と知って

 

自分で調べていくとどうやらネットって稼げるらしい。

自分みたいな時間が不規則でも
時間や場所を問わずにできそうだ。

「これしかない!」

って思っていろいろやりました。

「アドセンス」

「ヤフオクアフィリ」

「情報商材アフィリ」

それらをすべて自己流でやったんだから
そりゃあ稼げませんよね。

「これじゃダメだ」

としばらくやってようやく悟ります。

「稼いでいる人に直接聞こう」

そうやってここでも迷うですが
今教えを乞うている師匠と出会います。

自己流でやっていた「情報商材アフィリ」で結果が出るように。

そんなことがあったのがおよそ8年ほど前。

それからしばらくネット副業とは離れて
3年前に改めて師匠に教えを乞うことになります。

 

ブランクを経てアクセス「0」の「恋愛ブログ」でゲキチン

再開してまず始めたのが「恋愛ブログ」。

これが壊滅的に稼げなかった。

教えを乞うているのにどこか自己流が出ちゃった。

そこでまた頭を下げて思い切って舵を切りました。

以前稼いだ経験のある「無料ブログ」で商材アフィリに挑戦です。

するとどうでしょう。

なんと今度はたった2か月で報酬は53,000円を突破!!

それをきっかけにメルメガを始めました。

これがまたまた順調に行って給料の減額分を稼げるように。

今では時間や場所に縛られず在宅ワーク中心の毎日。

時々気が向けば仕事仲間がいる事務所に顔を出し
気軽な話を交わしながらお茶でも飲める余裕が出ました。

ここまで知識投資は一切惜しみませんでした。

それと現役で稼いでいる師匠を見つけて
直接教えを乞えたのもよかったんでしょう。

 

好きな人と過ごせる日々に感謝

今では自由気ままに暮らせています。

これまで投資してきたものを今目の前で
困っている人、ブログで稼ごうとしている人に伝えたい。

悩んでいる人を見ると過去の自分に見えます。

だかこそ苦しみも実感できます。

1日も早く稼げるようになって
好きな人と好きなだけ
時間を過ごせるようになってほしい。

苦しんだ過去があるからそう思います。

 

【叶えたい夢①】「親友シンママの息子さんはミュージシャン!!彼の公式サイトを作ってやりたい」

ブラック会社を辞めてフリーランス出版業として好きな人と働ける日々。

日々好きな人と、好きな時間に、好きな場所で働ける・・・

充実した毎日を過ごしていますがひとつ気がかりなことが・・・

それは「親友」との約束を果たせていないこと。

仕事仲間のフリーライターTさんはシングルマザー。

もう一緒に仕事するようになって十数年になる。

Tさんの息子さんは一言で言えばミュージシャン!!

…と言っても駆け出しの…

ちょっと特殊は病に悩まされた幼少期を過ごして
少し変わった高校に進学したはいいもの中退した過去を持つ。

しかし、在学中から本気で取り組んだ音楽が彼を支えてくれた。

昭和のおやじで音楽好きなら名前を聞いたこともあるはず。

大物ミュージシャン・村上ポンタさんに気に入られるほど
卓越したスキルとセンスを持つドラマーなのだ。

一流ミュージシャンのバックバンドとしてコンサートに呼ばれることもある。

さらに彼が所属するバンド(これはデビューしてない)のライブには
ソニーミュージックのプロデューサーや六本木のバーで歌う現役ジャズシンガーも来る。

しかし、本人いわく

「ドラマーって需要ないですよ。ギターに鞍替えしないと食えないかな」

ミュージシャンとは言ってもタマゴなんで
コンビニバイトでシンママTさんを助けている。

私は出版の世界でイラストレーターさん、デザイナーさん、
カメラマンさん、作家さんたちクリエイターの黒子役を務められて
いくらかでも彼らの表現活動にお役に立てたかなあ
と出版の世界を選んだことに満足している。

でも彼らは「夢見る人たち」だった。

経済的に余裕のあるクリエイターさんは恵まれてる。

ここにもひとり夢見るミュージシャンのタマゴが
お金を理由に思いっきり創作活動に夢中になれない現実がある。

お金のあるなしで自分の夢をあきらめざるをえない人たちを救いたい。

夢をあきらめる理由がお金って現実を変えたい。

たとえほんの少しでも・・・

以前シンママTさん親子と一緒にカラオケに行ったことがある。

ウーバー(ワールドね。もちろん)をカッコよく歌うイケメンなんですよ~

カラオケ中に

「大物になる前に公式サイト、作ってあげる」

と軽く言ったはいいものの毎日忙しくて手が付けられない。

そんな未来の大物ミュージシャンに公式サイトを作るには
ちょっと時間が必要です。

カラオケの別れ際に

「母をよろしくお願いします!」

と言われた時のさわやかな笑顔が脳裏に焼き付いてる。

彼、「親友」との約束を果たして
大物ミュージシャンの公式サイトを作ってやるのが夢になってます。

(シンママTさんとは決してデキていません)

もちろんもっと稼いで
もっとお金と時間が自由になったらそっこうやるよ。

もちろん無報酬でね。

 

【叶えたい夢②】「1人出版社」を開業したい

私が普段仕事している出版の世界は今激動の潮流に巻き込まれています。

電子出版を始めとする個人出版の波が来て
大きな企業として出版社を経営するのが困難になってきているのです。

そんな流れを見て出版社に所属していたサラリーマン編集者が
独立して小さな個人出版社・「1人出版社」を始めるケースが増えています。

私は常日頃から彼らの注目し、影響を受けています。

「1人出版社」を始めることがもう1つ私が叶えたい夢です。

今は出版社から仕事を請け負うスタイルですが
「1人出版社」を自分で運営すれば
自分の好きな本を出版する自由が得られます。

今私には密かに注目している未来の著者候補が複数います。

そんな憧れを抱く人たちを口説いて
本の出版をもちかけて良好な関係を築きたい。

「1人出版社」を開業するモチベーションが
ネットビジネスをがんばる原動力になっています。

 

「稼げないコンプレックスを抱える人に役立ちたい」

自分自身、長期にわたってもっと稼ぎたいけど稼げない日々を経験して
お金に対するコンプレックスはかなりのものでした。

ネットビジネスを知って、今は幸いにお金に対するコンプレックスを解消できました。

出版フリーランスのわたしにが、もしも人様のお役に立てるなら
お金でコンプレックスを抱えている人たちに、稼いでもらうために
お教えすることくらいしかないし、

教えた人が「おかげで稼げるようになれました!」
と感謝してくださることは、このうえない喜びです。

コンプレックスを吹き飛ばせた人は強いです。

お金を稼ぐことは、人生最強の復讐であり
今の正直な気持ちは、お金コンプレックスを抱える人のお役に立つことです。

 

 

「DDだっていいじゃん!!」

この記事冒頭で私が本田仁美ちゃん推しだって書きました。

でも2024年1月で卒業しちゃうんですよ~

今、真剣に次なる推しを物色中!

そんな中今、気になってるコがいるんです!!

「えりい」こと千葉恵里ちゃん。

 

えりいはシングル曲「久しぶりのリップグロス」で
センターになってから一躍次世代エースに。

えりいはインスタのフォロワーもすごいんだけど
最近知ったんだけど、サブ垢を持っています。

えりいインスタサブ垢では毎週2~3回
「質問箱」を開催して、ファンからの質問にひとつひとつ回答してます。

多いときは1つの質問に対して100人に回答して
ファンといつも近い距離を保っている影の努力家さん。

そんな頑張り屋のえりいから

「応援して❤」

とささやかれたら、思わず満面の笑みを浮かべて

「わかった!!」

って言っちゃいそう。

方や「なるちゃん」こと倉野尾成美ちゃんは
チーム8でAKB入りを果たして、
最近では選抜メンバーの常連さん。

 

いつか「ゆきりん」ことAKBの生きる伝説、柏木由紀さんに

「過去の先輩方の財産はおいといて、
自分が歌って踊る今の世代の代表曲を持ちたい!」

その意見に「ゆきりん」は

「自分たち世代の『ポニーテールとシュシュ』『恋するフォーチュンクッキー』ね!」

と凛とした決意の後輩の背中を押すことを宣言!!

そんなファイトある正統派アイドルなるちゃんに

「推して❤」

と言われたら、思わず背筋伸ばして

「うん!!」

って即答しそう、、、

これを「DD」(=誰でも大好き)って言うらしいけど
おじさんは本日ここに「DD宣言」しちゃいます。

始めたばかりの公式LINEでは「えりい」が待ってる!!

一方、始めてから3年半経つメルマガでは「なるちゃん」がほほ笑む!!

あなたがもしどちらか迷ったらここはいっそ両方選んでみるのはどう?

 

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あ、その前にもう少しディープな「ここだけ」の話も時々します。

 

偉そうなこと言ってますが過去のわたしは「犯罪者」で

お役所に「シュットウ」した経験があります。

 

その時の生々しい様子を別エピソードでまとめてます。

 

>>お役所に「シュットウ」することになった悲しい男の話はこちら

 


 

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